パンジャビ (駆逐艦)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > パンジャビ (駆逐艦)の意味・解説 

パンジャビ (駆逐艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/22 14:35 UTC 版)

艦歴
発注 1936年6月19日
起工 1936年10月1日
進水 1937年12月18日
就役 1939年3月23日
退役
その後 1942年5月1日に戦没
除籍
性能諸元
排水量 基準:1,850トン、満載:2,520トン
全長 377 ft (114.9m)
全幅 36 ft 6 in(11.3m)
吃水 9 ft(2.7m)
機関 海軍式重油専焼三胴缶 3缶
パーソンズギヤード・タービン 2基 2軸推進
最大出力 44,000hp (33,000 kW)
最大速力 36 ノット
航続距離 15ノット/5,700海里(重油:524トン)
乗員 219名
兵装 45口径Mark XII 120mm連装砲 4基
40mm4連装ポンポン砲 1基
12.7mm Mark III 4連装機銃 2基
533mm 4連装魚雷発射管1基
爆雷20発(投射機2基、投下軌条1軌)

パンジャビ (HMS Punjabi, F21) はイギリス海軍駆逐艦トライバル級

艦歴

スコッツ社で建造。1936年6月発注。1936年10月1日起工。1937年12月18日進水。1939年3月29日就役。

1940年4月13日、第2次ナルヴィク海戦に参加。6月、サン・ナゼールからの部隊撤収を行う。1941年5月ドイツ戦艦「ビスマルク」追撃戦に参加。7月からは北方での活動に移り、スピッツベルゲン島の調査、ベア島からのノルウェー人の脱出、ソ連へ向かう船団やソ連から戻る船団の護衛や支援などに従事した。

1942年5月1日、ソ連へ向かうPQ15船団の支援部隊として戦艦「キング・ジョージ5世」、空母「ヴィクトリアス」などとともに出撃中、「キング・ジョージ5世」が「パンジャビ」の左舷に衝突。「パンジャビ」は分断され、後部はすぐに沈んだが、前部はすぐには沈まなかったため艦長以下169名が救助された。

艦長

  • J. T. Lean - 1939年2月22日-1941年2月27日
  • S. A. Buss - 1941年2月28日-1942年1月13日
  • J. M. G. Waldegrave - 1942年1月14日-1942年5月1日

ペナントナンバー

  • F21 - 1939年1月-1940年秋
  • G21 - 1940年秋-1942年5月

脚注

参考文献

  • Martin H. Brice, The Tribals: Biography of a Destroyer Class, Ian Allan, 1971

関連項目

外部リンク

座標: 北緯66度0分 西経8度0分 / 北緯66.000度 西経8.000度 / 66.000; -8.000




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「パンジャビ (駆逐艦)」の関連用語

パンジャビ (駆逐艦)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



パンジャビ (駆逐艦)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのパンジャビ (駆逐艦) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS