アフリディ (駆逐艦)とは? わかりやすく解説

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アフリディ (駆逐艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/22 14:31 UTC 版)

艦歴
発注
起工 1936年6月9日
進水 1937年6月8日
就役 1938年5月3日
退役
その後 1940年5月3日に戦没
除籍
性能諸元
排水量 2,020トン
全長 377 ft
全幅 36 ft 6 in
吃水 13 ft
機関 パーソンズ式減速タービン、22,000shp
最大速 36 ノット
乗員 190名
兵装 8 x 4.7 guns in four turrets, 4 x 2pdr, 4 x 21 inch torpedo tubes, 2 x depth charge throwers

アフリディ (HMS Afridi, F07) はイギリス海軍駆逐艦トライバル級

艦歴

1936年6月9日にヴィッカース・アームストロング社ニューカッスル・オン・タイン造船所で起工。1937年6月8日に進水して1938年5月3日に就役した。

第二次世界大戦で「アフリディ」はノルウェー沖での作戦に参加。1940年5月、「アフリディ」はノルウェーのナムソスからの撤退作戦に参加した。4月29日に「アフリディ」は重巡洋艦「デヴォンシャー」、「ヨーク」、軽巡洋艦「モンカルム」、駆逐艦4隻および輸送船3隻とともにスカパ・フローから出撃した。出撃後、さらに駆逐艦4隻が加わった。計画では5月1日と2日の夜に部隊の収容を行う予定であったが、5月1日は霧のため実行できず、5月2日のみで行うこととなった。5月2日朝には軽巡洋艦「カーライル」も合流した。

5月2日、「カーライル」がナムソスに向かったのに続き、「アフリディ」も「ヨーク」、駆逐艦「ヌビアン」、3隻の輸送船と共にフィヨルドに入ってナムソスに向かった。ナムソスでは、「アフリディ」は輸送船への兵員の輸送を行い、最後に港に残された車両を破壊してナムソスを離れた。

収容作業は無事終了したが、帰路ドイツ軍機による攻撃が開始された。まず駆逐艦「ビゾン」が被弾した。「アフリディ」は駆逐艦「グレネード」、「インペリアル」と共に生存者の救助にあたり、それから「ビゾン」を砲撃で処分した。14時ごろ、今度は「アフリディ」がJu 87の攻撃で被弾した。2発の爆弾が命中した「アフリディ」は炎上して航行不能となり、沈没した。「グリフィン」と「インペリアル」により救助作業が行われたが、乗員52名に加え、ナムソスで収容した兵士や「ビゾン」の生存者の中にも死者が生じた。

参考文献

  • M.J.ホイットレー、『第二次大戦駆逐艦総覧』、岩重多四郎 訳、大日本絵画、2000年、ISBN 4-499-22710-0
  • Geirr H Haarr, The Battle for Norway -April-June 1940-, Naval Institute Press, 2010, ISBN 978-1-59114-051-1

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