パパール川とは? わかりやすく解説

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パパール川

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/21 02:24 UTC 版)

パパール川
パパール川

現地の呼称 Sungai Papar  (マレー語)
所在
 マレーシア
 サバ州
西海岸省英語版
ボルネオ島北西部
特性
水源  
 • 所在地 パパール郡英語版プナンパン郡英語版トゥアラン郡英語版の山岳地帯
河口・合流先  
 • 所在地
パパール郡英語版南シナ海沿岸
 • 座標
北緯5度45分08.6秒 東経115度54分29.9秒 / 北緯5.752389度 東経115.908306度 / 5.752389; 115.908306座標: 北緯5度45分08.6秒 東経115度54分29.9秒 / 北緯5.752389度 東経115.908306度 / 5.752389; 115.908306
延長 60 km (37 mi)[1]
流域面積 805 km2 (311 sq mi)[1][2]
流域
水系 クロッカー山脈英語版[1][3]

パパール川(パパールがわ、マレー語: Sungai Papar)は、マレーシアサバ州西海岸省英語版を流れる河川英語版。全長60 km (37 mi)で、サバ州北西部の山岳を源流とし、パパール英語版の北西で南シナ海に注ぐ。源流域はパパール郡英語版プナンパン郡英語版トゥアラン郡英語版にまたがっており、クロッカー山脈英語版の一部を構成する山地である。

特徴

パパール川は、サバ州内ではキナバタンガン川とパダス川に次ぐ流量を誇っている[4]淡水魚の漁場として、また周辺の村や河岸・パパールの町の営利農場の農業用水の水源としても重要である[5]

歴史

パパール川を渡るパパール鉄道橋の開通式(1915年頃)

ブルネイ帝国の時代、スルタンが自身の代理人としてそれぞれの河川にブルネイ系マレー人英語版貴族を任命していた。パパール川もその対象となった川の一つだった[6]。19世紀にイギリス北ボルネオ会社が進出してくるまでは、パパール川周辺の豊かな峡谷にかなり大規模な農業共同体が形成されていた[7]。1843年から1846年にかけてエドワード・ベルチャー率いるイギリス海軍サマラン号がボルネオ島の北西海岸を探検し、ディナワン島英語版の近くに河口があることを確認した[8]。パパール川は多くのブルネイ系マレー人や河岸のケダザン族英語版の村が用いる重要な交通路であったが、その役割はイギリス人が整備した瀝青舗装道路や鉄道といった近代的輸送手段にとって代わられた[7]パパール郡英語版の郡都である小さな町パパール英語版は、パパール川からその名をとっている[7]

現在パパール英語版の町が存在する付近でパパール川に新しく架けられた鉄道橋を初めてわたる北ボルネオ鉄道の列車(1915年頃)

1901年、イギリス当局によって初めてパパール川を渡る鉄橋が建設された。同時にキマニス英語版ムンバクッ英語版でも鉄橋が架けられている[9]。しかしこの橋はすぐ洪水で流されてしまい、再度かけ直された鉄橋もまた1903年の洪水で損傷してしまった[10]。橋の修理中、代替輸送としてフェリーが一時的に運行した。1904年にふたたび洪水が襲い、修復完了間際だった橋はまたもや被害を受け、構造物のほとんどが流された。1908年11月に仮置きの橋が架けられたが、これも洪水で流された[11]。1908年12月に新たな橋が架けられたが、1913年の洪水で損傷した[12]。1915年に鉄道橋が完成し、パパールの町へつながる鉄道が開通した。

破壊された鉄道橋(1945年)

第二次世界大戦中、連合国日本軍による利用を妨害するためパパール川の鉄道橋を爆撃し破壊した。後にこの地で、日本陸軍の部隊がオーストラリア帝国軍英語版に投降した[13][14]。終戦後、橋を失った地元民は対岸に人や物を運ぶにも小さなボートを使わざるを得なくなった[7]。その後新たな橋が架けられたが、その工事中に現地民の間で奇妙な噂が流れた。橋の建設を成功させるには人間の首を基礎に埋めなければならない、というもので、現地民は夜な夜なヘッドハンターが犠牲者を求めてうろついていると信じ、寝ずの番をしていたという[7]

後に、鉄道橋の隣に自動車用の橋も建設された。しかしこの橋は交通需要に比して設備が貧弱で、パパール内外を行き来する人々が日常的に渋滞に悩まされる原因となっており、2010年代から改修を求める声が上がっている[15]。これとは別にサレ・スロン橋と呼ばれる橋がパパール旧道に掛けられていたが、これはパン・ボルネオ・ハイウェイ英語版計画の一環で建て替えられ、2018年に新たなコンクリート橋が開通した[16]

保全活動

川の大部分はマングローブ林と湿地帯に覆われており、自然の沿岸が守られ、数種の鳥類の生息地となっている。2000年代以降、河川の沿岸では11か所で砂の採掘英語版がおこなわれているのが確認されている[17]。2010年代初頭、サバ州政府英語版の土地調査部はパパール川やトゥアラン川英語版違法な砂の採掘英語版取り締まりを強化した[18]

ギャラリー

脚注

  1. ^ a b c Papar Profile”. Department of Irrigation and Drainage, Malaysia. p. 13/38 (2011年). 2019年5月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年7月6日閲覧。
  2. ^ National Register of River Basins [List of River Basin Management Units (RBMU) – Sabah]”. Department of Irrigation and Drainage, Malaysia. p. 34 (2003年). 2019年7月6日閲覧。
  3. ^ Crocker Range [Data Zone MY020]. BirdLife International. (2003). http://datazone.birdlife.org/site/factsheet/crocker-range-iba-malaysia/text 2019年7月6日閲覧。. 
  4. ^ Sabah Biodiversity Conservation Strategy”. Government of Sabah, Universiti Malaysia Sabah and Japan International Cooperation Agency. p. A2-13 [37/202]. 2019年7月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年7月7日閲覧。
  5. ^ Integrated Shoreline Management Plan for Negeri Sabah [Final Report]”. Department of Irrigation and Drainage, Malaysia. p. 7-1 [58/66] (2013年). 2019年7月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年7月8日閲覧。
  6. ^ Dayang Junaidah Awang Jambol (2018). “Hubungan Tradisi Brunei dengan Borneo Utara: Tinjauan Terhadap Faktor Kemerosotan Pentadbiran Kesultanan Brunei pada Abad Ke-19” (Malay) (PDF). Jurnal Borneo Arkhailogia (Heritage, Archaeology and History) 3 (2): 109. https://jurcon.ums.edu.my/ojums/index.php/JBA/article/view/1625/1059. 
  7. ^ a b c d e Chung Mui Kong (4 August 2013). Little Snapshots. BookBaby. pp. 206–217. ISBN 978-0-9922955-1-6. https://books.google.com/books?id=GbdVDQAAQBAJ&pg=PT206 
  8. ^ Edward Belcher (30 June 2011). Narrative of the Voyage of HMS Samarang, During the Years 1843-46: Employed Surveying the Islands of the Eastern Archipelago. Cambridge University Press. p. 144. ISBN 978-1-108-02923-0. https://books.google.com/books?id=9bvw13OoAoEC&pg=PA144 
  9. ^ British North Borneo Herald 1901.
  10. ^ British North Borneo Herald 1903.
  11. ^ British North Borneo Herald 1908.
  12. ^ British North Borneo Herald 1913.
  13. ^ Civil Engineering and Public Works Review. Lomax, Erskine & Company. (1952). https://books.google.com/books?id=vd1AXXZfZN4C 
  14. ^ Australian invasion of Borneo in pictures”. Asian Railways. 2019年7月7日閲覧。
  15. ^ “Historic Buang Sayang bridge needs a facelift”. Daily Express. (2015年5月22日). オリジナルの2019年7月7日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20190707061917/http://www.dailyexpress.com.my/news/99994/historic-buang-sayang-bridge-needs-a-facelift/ 2019年7月7日閲覧。 
  16. ^ Jambatan pertama projek lebuh raya Pan Borneo Sabah dibuka” (Malay). Bernama. Astro Awani (2018年11月16日). 2019年7月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年7月7日閲覧。
  17. ^ Environmental Impact Assessment (EIA) Guidelines for River Sand and Stone Mining”. State Environmental Conservation Department (ECD). p. 9 [9/60] (2000年). 2019年7月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年7月8日閲覧。
  18. ^ “Machinery seized over illegal sand mining”. The Borneo Post. (2016年5月21日). オリジナルの2019年7月8日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20190708053629/https://www.theborneopost.com/2016/05/21/machinery-seized-over-illegal-sand-mining/ 2019年7月8日閲覧。 

参考文献

  • British North Borneo Herald (1901). British North Borneo Herald. British North Borneo 
  • British North Borneo Herald (1903). British North Borneo Herald. British North Borneo 
  • British North Borneo Herald (1908). British North Borneo Herald. British North Borneo 
  • British North Borneo Herald (1913). British North Borneo Herald. British North Borneo 

関連文献

関連項目

  • マレーシアの河川一覧英語版

外部リンク

  • ウィキメディア・コモンズには、パパール川に関するカテゴリがあります。



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