サマラン_(帆走フリゲート)とは? わかりやすく解説

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サマラン (帆走フリゲート)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/03 01:38 UTC 版)

サマラン
サラワクで座礁・浸水した「サマラン」
基本情報
建造所 コーチ (インド)
運用者  イギリス海軍
級名 アソール級(Atholl class)28門6等艦フリゲート
艦歴
発注 1819年6月5日
起工 1821年3月
進水 1822年1月1日
竣工 1824年6月7日
最期 1883年11月
要目
トン数 499bmトン(設計値)
長さ 113 ft 8 in (34.65 m)(放列甲板)
94 ft 8+34 in (28.873 m)(キール)
31 ft 6 in (9.60 m)
深さ 8 ft 9 in (2.67 m) (庫内)
推進 帆走 (3本マスト・横帆)
乗員 175人
兵装
  • 上甲板:32ポンドカロネード砲 x 20
  • 後甲板:18ポンドカロネード砲 x 6
  • 船首楼:9ポンド砲 x 2
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サマラン(HMS Samarang)は、イギリス海軍の28門搭載アソール級(Atholl class)木造(チーク材)フリゲートである。

「サマラン」はイギリス東インド会社によって、1822年にインドのコーチで進水した。

世界中の幾つかの艦隊に所属し、アヘン戦争にも参加した。1843年から1846年にかけてエドワード・ベルチャーの指揮下でボルネオや東南アジアの調査を行なっている[1]。この間の1843年には沖縄[2][3]、1845年には長崎に来航し、天保の薪水給与令に従って薪水の補給を受けている。その後ジブラルタルにて1847年5月の艦種変更で警備艦となり、1883年に解体のために売却された[4][5][6]

脚注

  1. ^ Narrative of the Voyage of H.M.S. Samarang during 1843-1846 (1848)
  2. ^ ベルチャーのサマラン号航海日誌の内、沖縄関係は「サマラン号の八重山来航記」として安積鋭二の訳がある
  3. ^ 英国軍艦サマラン号通詞見聞記
  4. ^ "William Loney"
  5. ^ Naval database
  6. ^ National Maritime Museum



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