パグウィーニー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 01:44 UTC 版)
サミット・クリーク(現在ではユタ州スミスフィールド)のある白人が、彼の馬が居なくなっていることに気づき、サミット・クリークで釣りをしていた若いインディアンを馬を盗んだ廉で告発した。イギリス人移民でサミット・クリークに最初に住みついていたロバート・ソーンリーは、インディアンの若者がヤナギに結びつけられて渓流に浸けられたビクの中の魚がまだ生きていたので、馬を盗み、それを隠し、また釣りに戻ってくる時間は無かったはずだと指摘して、若者を弁護した。しかし、地元の陪審はいずれにしてもそのインディアンの若者を絞首刑にした。この若者の名前は地元の歴史の中でパグウィーニーと伝えられてきた。後の情報では、パグウィーニーはショーショーニー語で魚という意味であり、この若者は単に「私の魚を見ろ」か「私は釣りをしているだけだ」と言った可能性が強い。 このインディアンの若者は地元のショーショーニー族酋長の息子であることが分かり、数日の内にインディアン達は近くの渓谷で木材を集めていたメリル家の若者二人を殺すことで報復した。
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