バーのオーナーに
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 01:55 UTC 版)
「ラリー・フリント」の記事における「バーのオーナーに」の解説
退役後、ラリーは1965年の初頭に貯金1800ドルを元手にオハイオ州デイトンに「キーウィー」(Keewee)という名のバーを開業した。経営はすぐに軌道に乗り、週に1000ドルを稼ぎ出すまでに成長し2つのバーをさらに開業した。この頃の彼は1日20時間も働いていたため、気付けのためにアンフェタミンを服用していた。彼の店は全てデイトンの労働者階級の住む地域で開業していたこともあり、たびたび泥酔者のけんかの仲裁を行わなければならなかった。ある時は銃で客を撃ち殺しそうになったこともあった。 このような危険な状況に遭ったためラリーは安いバーではなく新しい高級バーを開業することを考えるようになり、地域で最初のストリップクラブ「ハスラー・クラブ」(Hustler Club)を開業した。 1968年から弟のジミーと当時ガールフレンドで後にラリーの妻となるアルシア・リージャーと共に経営するようになり、オハイオ州のアクロン、 クリーブランド、コロンバス、シンシナティ、トレドにも店を構え年に7万5000ドルから10万ドルも稼ぎ出すようになった。またこの時独身男性向けのタブロイド紙をデイトンにてフランチャイズで約2年間発売していた。加えて自動販売機のレンタル会社も起こしたがこの事業は失敗に終わった。
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