バルバロッサとハドリアヌス4世
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/06 07:46 UTC 版)
「ハドリアヌス4世 (ローマ教皇)」の記事における「バルバロッサとハドリアヌス4世」の解説
1155年にフリードリヒ1世に帝冠を授けた教皇は、皇帝に対し強圧的な態度を示し、帝国は教会の封土であると述べた。ハドリアヌス4世にしてみれば、自勢力の拡大に専念する皇帝は我慢ならない存在であり、1156年、ついに皇帝と断交してシチリアのノルマン朝と手を結んだ。それに対し、フリードリヒ1世は北イタリアにおける帝権を主張することで応じた。1157年10月、フランスのブザンソンで開かれた会議の場でハドリアヌス4世の特使がバルバロッサに渡した手紙にあった文言がひと悶着を引き起こした。ローマ教皇から皇帝に対する戴冠を意味するbeneficiaという語をドイツ人の法官が封建的な従属関係を示す意味に訳したため、皇帝の怒りを買うこととなった。両者の溝はいっそう大きくなり、ハドリアヌス4世はイタリア中部のアナーニにおいて皇帝を破門し、みずから教皇・皇帝双方を統合した軍の司令官に就任することを計画した。ハドリアヌスがフリードリヒを破門する寸前の1159年9月1日、扁桃腺炎を患った教皇ハドリアヌス4世はアナーニで死去した。
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