バルカンの継承
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/12 07:06 UTC 版)
「フィリッポ1世 (ターラント公)」の記事における「バルカンの継承」の解説
1306年、アカイア女公イザベル・ド・ヴィルアルドゥアンとその夫フィリッポ1世・ディ・サヴォイアはナポリのカルロの宮廷を訪れた。フィリッポ・ディ・サヴォイアはその背信とカルロがエピロスの継承を請求していた時にカルロを支持しなかったことを糾弾された。また、イザベルはフィリッポとの結婚の許可を宗主から得ていなかったため、1306年5月5日にカルロは二人からアカイア公位を剥奪し、公位を息子フィリッポに与えた。フィリッポはその後家臣からの礼を受けるために短期間アカイアを訪れ、エピロスに対し進軍したが成功しなかった。フィリッポはアテネ公ギー2世をアカイアのバイイとして残した。一方、イザベルとその夫フィリッポ・ディ・サヴォイアは、1307年5月11日、アルバ伯領と引き換えにアカイアに対する請求権を放棄した。
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