バッファロー絶滅政策
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 15:00 UTC 版)
「インディアン居留地」の記事における「バッファロー絶滅政策」の解説
西部のスー族など平原部族の「保留地」への囲い込み交渉は最後までもつれた。このため、連邦政府は平原部族の主要な食糧となっていたバッファロー(バイソン)を、政策として野生界から絶滅させ、食糧を断つ作戦を採った。大陸横断鉄道が敷設されると、政府は官製の狩猟ツアーを募り、窓から無差別にバッファローを撃たせてこれを殺させた。入植者達は条約を無視して勝手に保留地に入り込み、部族の猟場でバッファローを虐殺したが、保留地監督官は部族の抗議を無視した。こうして19世紀初頭に4千万頭を超えていたバッファローは、19世紀末には野生状態ではついに絶滅に近い状態となった。飢餓状態となった平原の部族は保留地に入らざるを得なくなった。
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