バシール政権
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憲法議会は1989年9月に仮計画された。しかし6月30日オマル・アル=バシール大佐らがNIFの扇動と支持の元、救国革命指導評議会を政権に置き換えた。15人の将校(1991年に12人に減員)からなる軍事政権で、文民内閣がこれを支えた。アル=バシール将軍は大統領と首相、最高司令官を兼任した。 バシール政権は労働組合や政党その他「非宗教」組織を禁止し、78,000人の軍人、警察官、文民行政官が体制変革のために追放された。1989年後半から SPLA と、アラブ系イスラム主義者のオマル・アル=バシール政権、双方の衝突が南部で激化した。
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