バグラトゥニ朝の首都
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/14 23:54 UTC 版)
「アニ (トルコ)」の記事における「バグラトゥニ朝の首都」の解説
かつてArsharunik(英語版)のカムサラカン家が有していた領土や、今日のシラク地方に相当する領土(アニを含む)は、9世紀初頭まで、アルメニア人のバグラトゥニ家の領土に組み込まれていた。804年、バグラトゥニ家の首領であるアショト4世(英語版)(806年–827年)は、イスラーム王朝のアッバース朝からアルメニア公の称号を与えられた。イスラーム王朝のカリフは宗教政策的な観点から、勢力が及ぶ範囲で他宗教の教会の新設は許さなかったとされているが、アルメニアでは例外的に多数のアルメニア教会が新設された。 バグラトゥニ朝(英語版)(885年-1045年)における最初の首都は、アニの40km南に位置するバガラン(英語版)であり、その後アニの25km北東に位置するシラカヴァン(英語版)に移された。929年には首都がカルスに移されたが、961年にはアショト3世(英語版)(治世953年–977年)によって首都がアニに移された。つづくスムバト2世(英語版)(治世977年–989年)はアニの街の発展に力を注ぎ、聖堂や多くの教会が建設された。ドヴィン(英語版)がイスラーム教徒に破壊されたのを機に、アルメニアのカトリコス(総主教)座はドヴィンからヴァン湖を経て、992年にアニに移された。これによってアニは首都であるだけではなく、アルメニアの宗教的な中心地にもなっている。10世紀のアニの人口は50,000から100,000と推定されている。
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