ハリスンとの破局
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/20 10:15 UTC 版)
ハリスンはイングランド北部の保守的な労働階級出身であり、妻は家にいるべきだという考えであった。そのためボイドはモデルの仕事を減らしていた。このことが離婚の原因であった。レノンとミック・ジャガーもまた、ボイドに惹かれていたと発言しており、ジャガーは1980年代当時の恋人であったベベ・ビューエル(Bebe Buell)に、彼がボイドを数年に渡って誘惑したがダメだったことを告白している。1973年、ボイドは後にローリング・ストーンズのメンバーとなるロン・ウッドと浮気をし、そこでハリスンとは破局した。 ボイドによると、ハリスンは病気という名目で彼女との休暇の約束を取り消し、ウッドの妻であるクリシーを誘ってサルバドール・ダリに会いにスペインに行っていたという。しかしハリスンはクリシーと関係を持ったことは後に否定している。ボイドの弁解は、ハリスンがクリシー・ウッドとスペインに行っている間、彼女は妹のポーラと共にバハマへ旅行しており、そのときにロン・ウッドが同行したいと言ってきたというものだった。ボイドとウッドはロンドンに帰るとすぐ記者たちに嗅ぎ付けられ、1973年11月25日に二人のことが報道される。ボイドはハリスンの宗教への加熱と性格の変貌が、取り返しがつかないほど彼女を遠ざけたと述べている。その後1974年の6月に離婚。ボイドはロサンゼルスにいた妹のジェニーのもとに身を寄せた。
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