ハプロ・中国間物資交換条約
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「中独合作」の記事における「ハプロ・中国間物資交換条約」の解説
1934年8月23日、ハプロと中国との間で、対等条約である「中国稀少資源及びドイツ農業・工業製品交換条約」が調印され、国民政府は、ドイツ製品とその開発支援と交換に中国産の軍需資源の提供を約束した。国民政府は、中国共産党との内戦で軍事費が増大して財政赤字が膨らんでおり、外国からの借款が難しい状況だったので、この物々交換は中国とドイツの双方に利益をもたらした。一方で、ドイツは、軍需資源を中国から確保できるようになったため、国際原料市場に依存する必要がなくなった。 ハプロとこの条約は、中国産業の推進だけではなく、軍制の再編成も促進した。この重要な条約を結んだ後、ゼークトは中国軍事顧問の地位をアレクサンダー・フォン・ファルケンハウゼンに譲り、1935年3月にドイツに帰国した。帰国後、ゼークトは、ドイツは中国と協力すべきとヒトラーらナチス高官に進言、ヒトラーやドイツ国立銀行総裁で当時経済大臣であったシャハトらは賛同する。
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