ネーデルラント連邦共和国の政体
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「無総督時代」の記事における「ネーデルラント連邦共和国の政体」の解説
政体はオラニエ公マウリッツの総督時代前半に固まった。法律上、議会での票決権は各州平等であった。しかし、ホラント州は国の全人口の半分を占め、政府予算の58%を負担したので、政治の実権は同州議会の法律顧問が握った。その同州議会に予算の44%を出していたのはアムステルダム市である。同市は、アルクマール、ホールン、ゴーダ、スヒーダムなどを味方につけて、ホラントの議会と執行機関を主導した。そしてアムステルダムは特権的豪商のレヘント(オランダ語版)層と彼らの選ぶ市長による寡頭政治に支配された。レヘントは国の経済と外交に干渉した。レヘントは議会派・総督派・中間派に分かれて政権争いを展開し、互いに妥協することなくヘゲモニーを交代した。有名なレヘントはデ・グラーフ家(英語版、オランダ語版)とビッカー家(英語版、オランダ語版)である。前者からは近代にディルク・デ・グラーフ・ファン・ポルスブルックが出ている。後者からは後述のヨハン・デ・ウィットが出ている。この両家は娘を互いに政略結婚させることにより同一の閨閥をつくった。
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