ネルソンの交戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/12/11 04:42 UTC 版)
フリーマントルがその場を離れたため、ホレーショ・ネルソン指揮下のアガメムノンは急浮上し、10時45分には「サ・イーラ」の艦尾からの射程内に入った。1060人近い兵士と水兵を載せた「サ・イーラ」に比べると、「アガメムノン」には344人ばかりの乗員しか乗っておらず、また大砲の数も少なかった。しかし「アガメムノン」は、サミュエル・リーヴ艦長艦長率いるキャプテンと共に、大きな損害を受けた「サ・イーラ」に激しい砲撃を浴びせた。「サ・イーラ」はなおも「ヴェスタール」に曳航され続けていた。「キャプテン」はとりあえず、ネルソンを援護しようと前方に進み寄ってきたのであった。ネルソンはこの一騎討ちを続けたが、午後2時15分になってもっと多数のフランス艦が、「サ・イーラ」を援護しようと射程内に入ってきたため、「アガメムノン」をイギリス艦隊の戦列の定位置に戻した。イギリスの戦列は陣形を立て直していた。フランスの後衛艦隊が射程内に入って来て、74門艦ベッドフォードとエグモント(英語版)が、フランスの最後尾の複数の艦と断続的に砲撃を交わしているためであった。フランス艦の中には120門艦サンキュロットや、74門艦ティモレオン(英語版)もいた。そこでネルソンは、イギリス艦に包囲された「サ・イーラ」に、多くの死傷者と大きな損害を出した。
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