ニューヨーク・レイク・エリー・アンド・ウェスタン鉄道 1878年 - 1895年
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「エリー鉄道」の記事における「ニューヨーク・レイク・エリー・アンド・ウェスタン鉄道 1878年 - 1895年」の解説
エリー鉄道は相変わらず利益を出すことができず、倒産して1878年に売却され、ニューヨーク・レイク・エリー・アンド・ウェスタン鉄道 (New York, Lake Erie and Western Railroad) となった。 ニューヨーク・レイク・エリー・アンド・ウェスタン炭鉱鉄道会社は1881年から1882年にかけて29.68マイル路線を南へ延長して、ペンシルベニア州ジョンソンバーグ(英語版)へと結んだ。この路線にはかつては重要であったキンズア橋(英語版)を含んでいる。 1883年にはサラマンカ(英語版)から西へ走るニューヨーク・ペンシルバニア・アンド・オハイオ鉄道(英語版)を借り受けて、ニューヨーク州より西へと拡大した。結果的に、ニューヨーク・レイク・エリー・アンド・ウェスタン鉄道はシカゴへと到達することになった。 1886年に、エリー鉄道とレディング鉄道はジャージーシティにおける両社の2つのターミナルでフェリーの運航を共同化した。平日および土曜日には1日11往復、日曜日には1日4往復であった。
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