ニコラウス・フォン・オルデンブルクとは? わかりやすく解説

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ニコラウス・フォン・オルデンブルク

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/07 04:40 UTC 版)

ニコラウス
Nikolaus
オルデンブルク大公家家長
オルデンブルク大公世子ニコラウス(1910年頃)
在位 1931年2月24日 - 1970年4月3日

全名 Nikolaus Friedrich Wilhelm
ニコラウス・フリードリヒ・ヴィルヘルム
称号 オルデンブルク大公世子
出生 (1897-08-10) 1897年8月10日
ドイツ帝国
オルデンブルク大公国
オルデンブルク
死去 (1970-04-03) 1970年4月3日(72歳没)
ドイツ連邦共和国
ニーダーザクセン州
ラシュテーデ
配偶者 ヘレーネ・ツー・ヴァルデック=ピルモント
  アンネ=マリー・フォン・シュッツバー=ミルヒリンク
子女
家名 ホルシュタイン=ゴットルプ家
父親 フリードリヒ・アウグスト2世
母親 エリーザベト・アレクサンドリーネ
宗教 キリスト教ルーテル教会
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ニコラウス・フォン・オルデンブルクドイツ語: Nikolaus von Oldenburg, 1897年8月10日 - 1970年4月3日)は、ドイツ領邦オルデンブルク大公国最後の大公世子(Erbgroßherzog。1931年より死去するまでオルデンブルク大公家家長の地位にあった。ドイツのための選択肢副党首ベアトリクス・フォン・シュトルヒ英語版は孫にあたる。

生涯

最後のオルデンブルク大公フリードリヒ・アウグスト(2世)と、その2番目の妃のメクレンブルク=シュヴェリーン大公女エリーザベト・アレクサンドリーネフリードリヒ・フランツ2世の長女)の間の長男(第3子)として生まれた。プロイセン軍のオルデンブルク竜騎兵第19連隊ドイツ語版に所属し、名誉大尉の階級を与えられた。第一次世界大戦が勃発すると、父の友人であったバイエルン王太子ループレヒトの参謀として従軍した。ドイツ革命によってオルデンブルク大公国が消滅すると、大公世子としての法的な地位を失った。1931年の父の死に伴ってオルデンブルク大公家の家督を継承した。

戦後のニコラウスは旧領地であったオルデンブルク自由州において、州とその周辺のほとんどの市民を加えた君主主義政党を組織するなど、積極的に政治に関与した。ナチズムに対して共感を持っていなかったニコラウスは、自身の支持者に対して国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)に投票しないように呼びかけた。1936年、ニコラウスの党は他のドイツの多くの政党と同様に非合法化された。ナチ党から危険人物と見なされたニコラウスは、「国家の敵」のレッテルを貼られる危機に晒されたが、熱烈なナチ党員であった義兄弟のヨシアス・ツー・ヴァルデック=ピルモント(妻ヘレーネの兄、妹アルトブルク英語版の夫)の取り成しによって事無きを得た。1937年5月1日にナチ党に入党し、同党の408万5803人目の党員となった[1]第二次世界大戦の間、家族と共にラシュテーデ城ドイツ語版で他と関わりを絶つかのようにして暮らした。

ナチ党政権の崩壊後は、君主制復古のために連合国軍と交渉する考えを持っていたが、イギリスからの歓心を得ることができなかったため果たせずに終わった。オルデンブルクで戦前の君主主義政党を立て直したが、1963年にその指導者の地位を長男のアントン・ギュンターに譲った。1970年4月3日、ラシュテーデドイツ語版において72歳で死去。家長位はアントン・ギュンターが継承した。ニコラウスの死後、彼が組織した党も解散した。

結婚と子女

1921年10月26日、アーロルゼンにおいてヴァルデック侯女ヘレーネ英語版フリードリヒの娘)と結婚した。ヘレーネとの間に6男3女を儲けた。うち、一番下の男子2人は双子である。

  • アントン・ギュンター・フリードリヒ・アウグスト・ヨシアス(1923年 - 2014年) - オルデンブルク大公家家長
  • リクサ・エリーザベト・バティルディス・エンナ・ツェツィーリエ(1924年 - 1939年)
  • ペーター・フリードリヒ・アウグスト・マックス(1926年 - 2016年) - 1951年、レーヴェンシュタイン=ヴェルトハイム=フロイデンベルク侯女ゲルトルートと結婚
  • アイリーカ・シュテファニー・エリーザベト・テクラ・ユリアナウクライナ語版(1928年 - 2016年) - 1950年、ライニンゲン侯エミッヒと結婚
  • エギルマー・フリードリヒ・フランツ・シュテファン・ヴィルヘルム(1934年–2013年)
  • フリードリヒ・アウグスト・ヴィルヘルム・クリスティアン・エルンスト英語版(1936年 - 2017年) - 1965年にプロイセン王女マリー=セシール英語版と結婚(1989年に離婚)、1991年にカステル=リューデンハウゼン伯爵夫人ドナータ英語版と再婚
  • アルトブルク・エリーザベト・ヒルダ・インゲボルク・マリー・ルイーゼ・マティルデ(1938年 - ) - 1967年、エルファ男爵リューディガーと結婚
  • フーノ・フリードリヒ・ペーター・マックス(1940年 - ) - 1970年、シュヴェリン・フォン・クロージク伯爵夫人フェリーツィタス・アニータ(ルートヴィヒ・シュヴェリン・フォン・クロージクの長女)と結婚
  • ヨハン・フリードリヒ・アドルフ(1940年 - ) - 1971年、オルテンブルク伯爵夫人イールカと結婚

ヘレーネと死別後の1950年9月20日、ハルムスドルフドイツ語版ギュルデンシュタイン荘園ドイツ語版においてアンネ=マリー・フォン・シュッツバー=ミルヒリンク英語版と再婚した。アンネ=マリーとの間に子供はなかった。

出典

参考文献

外部リンク

先代
フリードリヒ・アウグスト2世
オルデンブルク大公家家長
1931年 - 1970年
次代
アントン・ギュンター




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