エリーザベト・アレクサンドリーネ・ツー・メクレンブルクとは? わかりやすく解説

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エリーザベト・アレクサンドリーネ・ツー・メクレンブルク

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/29 22:23 UTC 版)

エリーザベト・アレクサンドリーネ・ツー・メクレンブルク
Elisabeth Alexandrine zu Mecklenburg
オルデンブルク大公妃
オルデンブルク大公妃エリーザベト・アレクサンドリーネ、1907年
在位 1900年6月13日 - 1918年11月11日

出生 (1869-08-10) 1869年8月10日
メクレンブルク=シュヴェリーン大公国、シュヴェリーン
死去 (1955-09-03) 1955年9月3日(86歳没)
西ドイツシャウムブルク
埋葬 西ドイツオルデンブルク
結婚 1896年10月24日 シュヴェリーン
配偶者 オルデンブルク大公フリードリヒ・アウグスト
子女 ニコラウス
アレクサンドリーネ
フリードリヒ・アウグスト
インゲボルク
アルトブルク
家名 メクレンブルク=シュヴェリーン家
父親 メクレンブルク=シュヴェリーン大公フリードリヒ・フランツ2世
母親 マリー・フォン・シュヴァルツブルク=ルードルシュタット
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エリーザベト・アレクサンドリーネ・マティルデ・アウグステ・ツー・メクレンブルクElisabeth Alexandrine Mathilde Auguste Herzogin zu Mecklenburg[-Schwerin], 1869年8月10日 - 1955年9月3日)は、ドイツメクレンブルク=シュヴェリーン大公家の一員で、オルデンブルク大公フリードリヒ・アウグストの2番目の妻。

生涯

メクレンブルク=シュヴェリーン大公フリードリヒ・フランツ2世とその3番目の妻でシュヴァルツブルク=ルードルシュタット侯子アドルフの娘であるマリーの間の第1子、長女として生まれた。父にとっては3番目の娘である。

1896年10月24日にシュヴェリーンにおいて、当時は大公世子だったフリードリヒ・アウグストと結婚した。夫は死別した最初の妻のプロイセン王女エリーザベト・アンナとの間に男子がおらず、オルデンブルク大公家の世継ぎをもうけるため、エリーザベト・アレクサンドリーネを後添えとした。エリーザベト・アレクサンドリーネは1900年に夫の即位に伴い大公妃となったが、1918年11月のドイツ革命でその身分を失った。

その後はラシュテーデ城(Schloss Rastede)で私人として暮らし、1955年に死去した。

子女

夫フリードリヒ・アウグストとの間に5人の子女をもうけた。

  • ニコラウス・フリードリヒ・ヴィルヘルム(1897年 - 1970年) - オルデンブルク大公家家長
  • アレクサンドリーネ(1900年)
  • フリードリヒ・アウグスト(1900年)
  • インゲボルク・アリックス(1901年 - 1996年) - 1921年、シャウムブルク=リッペ侯子シュテファンと結婚
  • アルトブルク・マリー・マティルデ(1903年 - 2001年) - 1922年、ヴァルデック=ピルモント侯世子ヨシアスと結婚



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