ニコラウス・フェッターとは? わかりやすく解説

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ニコラウス・フェッター

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/20 17:58 UTC 版)

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ニコラウス・フェッター
Nicolaus Vetter
生誕 1666年10月
神聖ローマ帝国 ヘルシュドルフ
死没 1734年6月13日
神聖ローマ帝国 ルドルシュタット
ジャンル クラシック
職業 オルガニスト作曲家

アンドレアス・ニコラウス・フェッターAndreas Nicolaus Vetter ドイツ語: [ˈfɛtɐ] 1666年10月 - 1734年6月13日)は、ドイツオルガニスト作曲家

生涯

フェッターは現在のテューリンゲン州に位置するヘルシュドルフドイツ語版に生まれた。最初の音楽教育をニュルンベルクゲオルク・カスパー・ヴェッカーから受け、1683年から1688年にはルドルシュタット英語版ギムナジウムに通った。続いてエアフルトへ赴いてヨハン・パッヘルベルの下で研鑽を積むと、1690年シュトゥットガルトへと移った師の跡を継いでプレディガー教会英語版のオルガニストに就任する。この時期、フェッターはエアフルト大学に在籍していたものと思われる。1691年7月にヨハン・ハインリヒ・ブットシュテットへと職を譲り、自らはルドルシュタットに戻って城のオルガニストとなった。フェッターは後年、政府の政策立案者、教会の代理人、ペイジの監督者に任用される栄誉に与った。

フェッターの作品には自由なオルガン作品群、『Zum frohen Empfang Grossherzogs Carl Fürsten Primas』と題された管弦楽合唱の作品などがあったものの、これらは第二次世界大戦の戦火により失われてしまい、現存する作品はごく僅かである。ベルリン州立図書館収蔵の資料『Mus.40035』によると、かつてヨハン・ゼバスティアン・バッハの作品であるとされていた『Allein Gott in der Höh' sei Ehr』に基づくオルガンのためのパルティータ BWV 771の第3、第8変奏は、フェッターの手になるものであるという。全17節全てが彼の作品である可能性もあるだろう。南ドイツ・オルガン楽派の伝統を汲みコラールへ作曲された彼のオルガン曲は、G. Frotscher編の『Orgelchoräle um Joh. Seb. Bach』の最新のエディション(ライプツィヒ 1937年)、並びにE. Kooiman編の『Andreas Nicolaus Vetter (1666–1734): Koraalbewerkingen』(ヒルフェルスム 1989年)に掲載されている。これらの作品の草稿も、多くが第二次世界大戦中に失われている。

主要作品

オルガンのためのコラール前奏曲

出典

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