ナーランダへの旅
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 08:33 UTC 版)
斉州山茌県の人である。幼くして出家し、15歳の時(649年(貞観23年))には西域行を志し、法顕や玄奘の行跡を思慕していたという。 671年(咸亨2年)、37歳で番禺県を同志数十名と出発しようとしたが、余人は全て辞退したため、義浄一人、海路でインドへ渡ることとなった。インドには西暦673年に到着し、14年間インドに滞在し、そのうち10年間はナーランダ僧院で過ごした。 帰路も再び海路で、マレー・インドネシア(スマトラ島にあったシュリーヴィジャヤ王国の中心都市パレンバンなど)を経て、695年(証聖元年)帰国。25年間に30余国を遊歴し、400部、50万頌のサンスクリットの経律論、金剛座、舎利300粒などを齎した。
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