ナーヤカの数
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/24 15:59 UTC 版)
ナーヤカが、ヴィジャヤナガル王国の領土の4分の3を知行地にあてられていたことは、先述したとおりが、問題はその数である。 ポルトガルの馬商人ヌーネスは、ナーヤカの数についてこう記している。 「 ビスナーガ王国(ヴィジャヤナガル王国)には、このように200人以上の長官(ナーヤカ)によって配分されている。 」 ナーヤカの数は時代によってさまざまで、15世紀末のサールヴァ朝の統治期から刻文に記録されているが、もっとも多いのが、クリシュナ・デーヴァ・ラーヤの統治期である。 クリシュナ・デーヴァ・ラーヤの統治期にあたる時代、タミル地方においてナーヤカの数は110人で、それに続くアチュタ・デーヴァ・ラーヤ(在位1529 - 1542)、ヴェンカタ1世(在位1542)、サダーシヴァ・ラーヤ(在位1542 - 1569)の治世も、同様に110人であった。 カルナータカ地方とアーンドラ地方でのナーヤカの数は、はっきりしてないが、仮に合わせて100人とすれば、ヌーネスの文献はとても正確なものとなる。
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