トーマス・ロウリー・ヤング
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/03 10:25 UTC 版)
| トーマス・ロウリー・ヤング | |
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| Thomas Lowry Young | |
| 第33代 オハイオ州知事 | |
| 任期 1877年3月2日 – 1878年1月14日 |
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| 副知事 | H・W・カーティス |
| 前任者 | ラザフォード・B・ヘイズ |
| 後任者 | リチャード・M・ビショップ |
| 第12代 オハイオ州副知事 | |
| 任期 1876年1月10日 – 1877年3月2日 |
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| 知事 | ラザフォード・B・ヘイズ |
| 前任者 | アルフォンソ・ハート |
| 後任者 | H・W・カーティス |
| アメリカ合衆国下院議員 オハイオ州第2選挙区選出 |
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| 任期 1879年3月4日 – 1883年3月3日 |
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| 前任者 | ヘンリー・B・バニング |
| 後任者 | アイザック・M・ジョーダン |
| オハイオ州下院議員 ハミルトン郡選出 |
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| 任期 1866年1月1日 – 1868年1月5日 |
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| オハイオ州上院議員 第1選挙区選出 |
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| 任期 1872年1月1日 – 1874年1月4日 |
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| 前任者 | トーマス・Y・イェートマン マイケル・ケッパー サミュエル・ファーマン・ハント ネイサン・ロード・ジュニア |
| 後任者 | ウィリアム・R・ウォレス ヴァッチェル・ワージントン スティーヴン・H・バートン |
| 個人情報 | |
| 生誕 | 1832年12月14日 |
| 死没 | 1888年7月20日(55歳没) |
| 墓地 | オハイオ州シンシナティ スプリング・グローブ墓地 |
| 政党 | 共和党 |
| 出身校 | シンシナティ法学校 |
| 兵役経験 | |
| 所属国 | アメリカ合衆国 |
| 所属組織 | アメリカ陸軍 北軍 |
| 軍歴 | 1848年–1858年、1861年–1864年 |
| 最終階級 | |
| 指揮 | 第118オハイオ歩兵連隊 |
トーマス・ロウリー・ヤング(Thomas Lowry Young, 1832年12月14日 - 1888年7月20日)は、アメリカ合衆国オハイオ州の共和党の政治家。第33代オハイオ州知事。
ヤングはアイルランドのダウン県Killyleaghで生まれ、1847年に両親とアメリカに移住して来た。当初、軍楽隊として1848年にアメリカ陸軍に入隊、1858年に軍務を終える頃には砲兵隊で軍曹まで昇進していた。ヤングは南北戦争勃発後、1861年9月にミズーリ州の志願兵 (the Missouri Volunteers) に加わったが、12月に辞めた。1862年9月にオハイオ志願歩兵連隊への任命を受けて1864年9月まで務め、階級は大佐に達した。
1865年にCincinnati Law Schoolを卒業し、オハイオ州下院議員に当選し1866年から1868年まで1期2年を務めた。その後、オハイオ州上院議員にも当選し、1871年から1873年まで1期2年を務めた。ヤングは1875年にSamuel Caryを破ってオハイオ州副知事に当選し、1876年に就任した。大統領選挙に当選したラザフォード・ヘイズにかわってヤングは知事となり、1877年から1878年までヘイズの残り任期を務めた。1878年に連邦下院議員に当選し、1882年に再指名を巡る戦いに敗れるまで2期務めた。
外部リンク
- Thomas L. Young - Find a Grave
- . Appletons' Cyclopædia of American Biography (英語). 1900.
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固有名詞の分類
| オハイオ州知事 |
オスニール・ルッカー ジョージ・ホードリー トーマス・ロウリー・ヤング ウィリアム・メディル エドワード・フォランスビー・ノイズ |
| オハイオ州選出のアメリカ合衆国下院議員 |
ジョン・コーウェン ジェイコブ・ドルソン・コックス トーマス・ロウリー・ヤング ウィリアム・メディル ジョン・ベイナー |
| オハイオ州副知事 |
ウォレン・ハーディング トーマス・ロウリー・ヤング ウィリアム・メディル ベンジャミン・スタントン ナンシー・ホリスター |
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