トーマス・バートリーとは? わかりやすく解説

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トーマス・バートリー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/17 02:40 UTC 版)

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トーマス・バートリー
Thomas Bartley
生年月日 1812年2月11日
出生地 アメリカ合衆国 オハイオ州ジェファーソン郡
没年月日 (1885-06-20) 1885年6月20日(73歳没)
死没地 アメリカ合衆国 ワシントンD.C.
出身校 ジェファーソン大学
前職 弁護士
所属政党 民主党
親族 父・モーデカイ・バートリー(オハイオ州知事)

当選回数 1回
在任期間 1844年4月15日 - 1844年12月3日

第28代 オハイオ州議会上院議長
在任期間 1843年12月4日 - 1844年12月1日

オハイオ州議会上院議員
選挙区 リッチランド郡選挙区
在任期間 1841年 - 1845年

オハイオ州議会下院議員
選挙区 リッチランド郡選挙区
在任期間 1839年 - 1841年
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トーマス・ウェルズ・バートリー(Thomas Welles Bartley1812年2月11日 - 1885年6月20日)は、アメリカ合衆国オハイオ州民主党の政治家である。第17代オハイオ州知事。バートリーは父のモーデカイ・バートリーによって知事職を継承されるという、アメリカ合衆国の高い公選の地位には珍しい例である。

バートリーはオハイオ州ジェファーソン郡で生まれた。ジェファーソン大学を卒業後、1831年にバートリーは弁護士を開業する。1839年から1841年まで州下院議員を、1841年から1845年まで州上院議員を務めた。1843年には州上院議長に選ばれた。外交官任命のため1844年4月15日にウィルソン・シャノン知事が辞任した事を受け、バートリーは州上院に留まったまま兼任で州知事に就き、12月3日までのシャノンの残り任期を務めた。民主党の再指名を狙うも、ホイッグ党の指名を受けた父との対立を避けて、州大会で敗れた。バートリーは後に州最高裁判所の裁判官を1852年から1859年まで務めた。

脚注

先代:
ウィルソン・シャノン
オハイオ州知事
1844年
次代:
モーデカイ・バートリー



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