トーマス・ロシターとは? わかりやすく解説

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トーマス・ロシター

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/08 05:34 UTC 版)

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トーマス・ロシター
Thomas Rossiter
Peter Paul Duggan による肖像画
生誕 1818年9月20日
アメリカ合衆国,ニューヘイブン
死没 1871年5月17日
アメリカ合衆国,コールド・スプリング・ハーバー

トーマス・ロシター(Thomas Prichard Rossiter、1818年9月20日 - 1871年5月17日)はアメリカ合衆国の画家である。アメリカの歴史を題材にした作品で知られる。

略歴

コネチカット州ニューヘイブンに生まれた。肖像画家のナサニエル・ジョスリン(Nathaniel Jocelyn:1796-1881)などから絵を学んだ[1]

1838年にニューヨークナショナル・アカデミー・オブ・デザインの展覧会に出展し、翌年、ニューヨークに移ってスタジオを開いた。1840年にアッシャー・ブラウン・デュランドジョン・フレデリック・ケンセットジョン・ウィリアム・カシリアとヨーロッパに渡った。ヨーロッパでは、イタリアを訪れたトマス・コール(1801-1848)と共にローマに滞在し、ロシターは1846年までローマに滞在しニューヨークに戻った。ニューヨークではケンセットとルイス・ラングと共同でスタジオを開いた[1]

1849年にナショナル・アカデミー・オブ・デザインの会員に選ばれた。1851年に結婚し、1853年に夫妻はパリに移り、パリにスタジオを開いた。パリでは双子が生まれ、1855年のパリ万国博覧会に出展し金賞を受賞したが、妻が娘の出産後に死亡したため、1856年に家族はニューヨークに帰国した[1]

1857年頃から、アメリカの歴史を題材に大作を描くようになり、「マウントバーノンの邸でのジョージ・ワシントンラファイエット」やワシントンの初代内閣などを描いた[2]

1860年に再婚し、パットナム郡ハドソン川を見下ろす邸に住んだ。亡くなるまで、ナショナル・アカデミー・オブ・デザインやペンシルヴェニア美術アカデミーの展覧会に出展した[1]

作品

脚注

  1. ^ a b c d Thomas Prichard Rossiter and Rossiter family papers, 1840-1961”. Archives of American Art. Smithsonian Institution. 2013年8月14日閲覧。
  2. ^ Thomas Prichard Rossiter”. Digital Encyclopedia. George Washington's Mount Vernon. 2013年8月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年8月14日閲覧。

参考文献

  • Gilman, D. C.; Peck, H. T.; Colby, F. M., eds. (1905). New International Encyclopedia (1st ed.). New York: Dodd, Mead.



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