トライアンフ・ドロマイトとは? わかりやすく解説

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トライアンフ・ドロマイト

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/03 03:20 UTC 版)

トライアンフ・ドロマイト(Triumph Dolomite)は、イギリスの自動車メーカーであったブリティッシュ・レイランド(BLMC、1975年の国営化以降はBL)のトライアンフ部門が、1972年から1980年まで生産した小型乗用車である。当初はBMW・1602/1802/2002アルファロメオ・アルフェッタをライバルとした高性能なスポーティサルーンとして発売されたが、経営難のBLMCは新しい車体を開発することができず、1965年に登場した前輪駆動(FF)の1300のものをベースとしていた。


注釈

  1. ^ 前輪駆動の1300は優れた性能を発揮したが、機構が複雑でコスト高であったため、1959年から生産されていたヘラルドの需要層には受け入れられなかった。後輪駆動化したトレドの登場により、ヘラルドはようやく1971年にその役目を終えた。
  2. ^ 大衆車に大きなエンジンと4灯式ヘッドランプを与えて上級モデルを生み出す手法は、ヘラルドの上級版として1962年に登場したヴィテスと同じであった。
  3. ^ 阿部モータース(現在はBMW東京地区販売店「Abe BMW」を経営)は日本への輸入を計画し、世評の高さから好調な販売が期待されたが、生産開始の遅れから1973年夏に一台の1850HLがサンプルカーとして輸入されただけに終わった。混乱した生産現場では、日本でも厳しくなりつつあった自動車排出ガス規制公害対策)や安全基準に対応した日本向け仕様車を少量生産することが困難であったためである。ドロマイトの輸入断念により、日本で販売されるBLMCのセダンは、1973年以降1980年代初頭まで、100万円台のミニ1000の上がいきなり500万円クラスのローバー・3500というラインナップになってしまい、ADO16などからの代替需要を吸収できず、日本での英国車の市場を自ら狭めることとなった。

出典

  1. ^ 目標は135馬力で、車名も「ドロマイト135」が予定されていたが、試作段階では150馬力をマークしていたものの、労働争議で技術水準が低下していた生産ラインで安定的に生産できる限界が125馬力であったと言われる。
  2. ^ 1975年5月以降はサイドストライプや着色ガラスと共に標準装備となった。


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