トゥーロンでのキャリア
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 19:05 UTC 版)
「クリストフ・ドミニシ」の記事における「トゥーロンでのキャリア」の解説
このようにして、クリストフ・ドミニシはコート・ダジュールのメジャーチームであるRCトゥーロンでプレーすることになり、ウィングのポジションに移った。何度かスタメンに選ばれることもあったが、ほとんどは控えだった。トゥーロンでの初試合の相手はペルピニャン、初スタメンの相手はボルドーだった。その当時のボルドーの監督は前フランス代表監督であるベルナール・ラポルトだった。 ドミニシはトゥーロンに4年間在籍していたが、ちょうどこのときフランスラグビーはプロ化への転換期にさしかかっていた。RCトゥーロンはこれにうまく対応できず、その結果が後のチームの凋落に繋がるわけであるが、ドミニシは監督ジャン=クロード・バラトールに会いに行き、自身の給料および選手全員の給料を上げるよう要求するが、受け入れられなかった。 そこで同僚のフランク・コンバと共にマックス・ガッジーニにコンタクトをとった。ガッジーニは1部に昇格したばかりのチーム、スタッド・フランセ・パリの会長であり、クラブをフランスで有数の強豪チームに育てようとしていた。
※この「トゥーロンでのキャリア」の解説は、「クリストフ・ドミニシ」の解説の一部です。
「トゥーロンでのキャリア」を含む「クリストフ・ドミニシ」の記事については、「クリストフ・ドミニシ」の概要を参照ください。
- トゥーロンでのキャリアのページへのリンク