トゥッルス・ホスティリウスによる二度目のフィデナエとウェイイとの戦争
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「ローマ・エトルリア戦争」の記事における「トゥッルス・ホスティリウスによる二度目のフィデナエとウェイイとの戦争」の解説
詳細は「フィデナエの戦い (紀元前7世紀)」を参照 紀元前7世紀、第三代の王トゥッルス・ホスティリウスの治世に、ローマの母市であるアルバ・ロンガはローマを攻めたが、戦線は膠着した。その後ホラティウス三兄弟とクリアティウス三兄弟による決闘の結果、アルバはローマの従属都市となった。しかしアルバ・ロンガの僭主、メッティウス・フフェティウス(英語版)はこれに不満であった。このため、フィデナエとウェイイを扇動して、ローマの打倒を図った。メッテウスは戦場で寝返ってローマ軍を攻撃する予定であった。 フィデナエは公然とローマに反乱した。トゥッルスはメッティウスと彼の軍をアルバ・ロンガから招集した。ローマ軍とアルバ軍はアニオ川を越え、アニオ川とティベリス川の合流地点で野営した。ウェイイ軍もフィデナエ軍と共にティベリス川を越え、川の横で戦列を敷いた。ウェイイ軍は川側、フィデナエ軍は山側に布陣した。ローマ・アルバ連合軍も、敵軍に向かって戦列を整えた。ローマ軍はウェイイ軍に、アルバ軍はフェデナエ軍に相対した。 戦闘は開始された。しかし、メッティウスとアルバ軍は戦闘には突入せず、ゆっくりと山のほうに移動を開始した。これを予想していたトゥッルスは自軍の兵に向かって、アルバ軍は彼の命令に従って移動していると告げた。ローマ人が植民していたためにラテン語を理解できたフィデナエ兵は、これを聞いてアルバ軍が迂回して背後から攻撃して来るのではないかと恐れた。結果フィデナエ兵は戦場から逃走した。続いてローマ軍はウェイイ軍を一掃した。 メッティウスは処刑され、アルバ・ロンガは破壊された。市民はすべてローマのカエリウス丘に移された。
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