トゥエンクアン包囲戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 02:07 UTC 版)
ランソン占領後、フランス軍は、1884年11月に雲南軍と黒旗軍に包囲されたトゥエンクアン(宣光)で苦戦中の守備隊の救援に向かった。雲南軍と黒旗軍の包囲攻撃により、守備隊はトンキン人の動員兵と共に防戦しつつも、ランソン占領時点で兵員の3分の1が死傷していた。 フランス軍第1旅団はトゥエンクアンに進撃、ホアモクに築かれた包囲側の防衛陣地を攻撃(ホアモクの戦い(英語版))。1885年3月2日、反撃にあって数百人の死傷者を出した。やがてトゥエンクアンへの進路を開き、包囲下の友軍を救う戦いを開始、程なくして雲南軍と黒旗軍は包囲を諦めて撤退した(トゥエンクアン包囲戦(英語版))。 苦戦の末に友軍を救ったこの戦いはフランス軍の士気を大いに高め、ブリエール将軍は「フランスを救った」と国内で賞賛された。
※この「トゥエンクアン包囲戦」の解説は、「清仏戦争」の解説の一部です。
「トゥエンクアン包囲戦」を含む「清仏戦争」の記事については、「清仏戦争」の概要を参照ください。
- トゥエンクアン包囲戦のページへのリンク