デヴォンシャー公内閣南部担当大臣(1756-1757)
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「ウィリアム・ピット (初代チャタム伯爵)」の記事における「デヴォンシャー公内閣南部担当大臣(1756-1757)」の解説
ピットは財政の知識が乏しかったので第一大蔵卿(首相)の座は第4代デヴォンシャー公爵ウィリアム・キャヴェンディッシュに譲り、自身は南部担当国務大臣として入閣し、戦争指導に集中した。このピット=デヴォンシャー公爵内閣はデヴォンシャー公爵が名目上の首相、ピットが実質的な首相であったと評価されている。 ピットは「愛国者」として海軍力増強と植民地での戦闘に力を入れ、ジャコバイトの反乱の中心地になったスコットランド・ハイランドに正規軍の連隊を編成したり、民兵制度改革で国民の戦争協力の強化を目指したが、ニューカッスル公爵を排除して政権に就いた経緯から議会の広範な支持を得られず、政権が安定しなかった。またハノーファー重視のジョージ2世と意見があわなかったうえ、他方で国王のハノーファー重視に一定の配慮もせざるをえなかったため、庶民院において彼を支持していた「独立派」議員からの支持も弱体化した。 そうした背景から1757年4月上旬をもってジョージ2世により罷免された。
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