ディアドコイ戦争以前
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/01 01:34 UTC 版)
「リュシマコス」の記事における「ディアドコイ戦争以前」の解説
リュシマコスはクランノン出身の宮廷の道化師であったテッサリア人アガトクレスの子として、マケドニアのペラにて生まれた。リュシマコスはアレクサンドロス3世の東征に側近護衛官の一人として参加して王の傍で戦い、紀元前326年のサンガラでのインド人との戦いで負傷した。また、リュシマコスはインドの哲学者(バラモン僧)のカラノスに師事し、カラノスが死んだ時には彼の馬を贈られた。 アレクサンドロスの死後紀元前323年に開かれたバビロン会議でリュシマコスはトラキアとケルソネソスの太守に任じられ、その間オドリュサイ人の王セウテス3世と戦った。 紀元前321年頃に結婚した最初の妻は帝国摂政アンティパトロスの娘ニケア(英語版)で、その間に、息子アガトクレス(英語版)、二人の娘エウリュディケ(英語版)、アルシノエ1世の3人の子をもうけた。のちにエウリュディケはアンティパトロス朝のマケドニア王アンティパトロス2世の妃に、アルシノエ1世はプトレマイオス朝エジプトのプトレマイオス2世ピラデルポスの最初の王妃・女王となった。
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