テレージエンシュタットの公開
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「テレージエンシュタット」の記事における「テレージエンシュタットの公開」の解説
1944年6月23日、テレージエンシュタットがデンマーク赤十字社と国際赤十字社に公開された。ドイツはこれに合わせてテレージエンシュタットの美化を開始した。ゲットーの名前を廃して「ユダヤ人入植地」と変更した。バラックが新築され、家が塗りなおされ、庭園も造られた。銀行や喫茶店、コンサートホール、遊び場も作られた。モーゼやユダヤ人長老ヤーコプ・エーデルシュタイン (de:Jakob Edelstein) の肖像画が入った紙幣が製造された。過密を減少させるため、1944年5月16日と18日に7503人がアウシュヴィッツ強制収容所へ移送された。赤十字社査察官の到着日当日には広場でサッカーの試合が行われ、公民館で子供たちのオペラも開催され、赤十字社を騙した。 さらに1944年8月から9月にかけてドイツはテレージエンシュタットで記録映画の撮影を行っている。しかしこれは結局、未完のままで終わった。
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