テッド・ウイリアムズの4割達成
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/03 23:18 UTC 版)
「1941年のメジャーリーグベースボール」の記事における「テッド・ウイリアムズの4割達成」の解説
この年は、ジョー・ディマジオの記録に沸いたが、もう一つ不滅の記録が達成された年でもある。ボストン・レッドソックスのテッド・ウィリアムズ が打率.406を打ち、今日まで最後の4割打者として記録されている。1939年に20歳でメジャーデビューしたその年に早くも打率.327、本塁打31本、打点145で打点王となったウイリアムズは翌1940年に打率.344に上げて、この年はシーズン最終日の前に打率.3995で四捨五入して打率.400になるので監督は残り2試合(この日はダブルヘッダーであった)を欠場するように勧めたがウィリアムズは拒否してダブルヘッダー2試合に出場し、8打数6安打を打って打率.406で終わった。そして本塁打37本で本塁打王の二冠に輝いた。 なお後にテッド・ウイリアムズの余りの猛打に相手チームが全体にライト側に寄って守る変形守備シフトを取ったが、これを発案したのはインディアンスの選手兼任監督のルー・ブードローで、彼はジョー・ディマジオの56試合連続安打が止まった最後の打席のゴロを取った遊撃手でもあった。
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