チームの異変
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2005年3月25日、アテネ五輪代表4人を含むオーストラリア人選手18人が来日。しかし、青島が東京都を拠点に活動しているため、現地常駐による指導が事実上不可能な点を考慮して当初の予定を変更し、青島が総監督となり、監督にはオーストラリア人が就任して現場の指揮に当たることになった。この他投手コーチには元中日ドラゴンズの辻本弘樹が就任。魚沼市広神自然公園野球場を主な練習場とした。 そうした中で挑んだチーム初の公式戦となった2005年春の都市対抗野球大会の予選は新潟県一次予選で敗退。すると、来日していたオーストラリア人選手・監督は予選終了後の6月7日に全員帰国してしまい、自然消滅的に事実上の休部状態となってしまった。 そして7月、青島はチームの運営方針を巡る意見の相違から総監督を辞任、同年9月にアミューズメント大手のセガサミーが新設した硬式野球部の監督に就任した。これにより、青島を慕って入団したチーム唯一の日本人選手であった元広島東洋カープの青木智史も後を追うように退団し、アメリカ合衆国の独立リーグであるゴールデン・ベースボール・リーグ内のジャパン・サムライ・ベアーズへ移籍した(翌春には辻本コーチとセガサミーへ入団)。これにより、在籍選手は全員退団した。魚沼市は当初「チームは一時解散し、オーストラリア人選手は子供たちとの交流事業のため、8月に再来日する」と発表していたが、実現には至らなかった。
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