チェルムスフォードの更迭とウルズリーの任命
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 16:19 UTC 版)
「ズールー戦争」の記事における「チェルムスフォードの更迭とウルズリーの任命」の解説
軍内でのチェルムスフォードへの非難は強く、5月22日にチェルムスフォードに代わりガーネット・ウルズリー(英語版)中将が後任の南アフリカ軍司令官になることが決定された。ウルズリーは過去の植民地戦争での豊富な戦歴があり、当時はオスマン帝国から新たに獲得したキプロスの高等弁務官だった。それ以上にウルズリーは1875年にナタール総督も務めた経験があった。ビーチ植民相は紛争のできる限り早い解決を望み、ウルズリーに武力に依らない交渉による解決を含めた全権を与えた。同時にズールーラントの併合も禁じている。最早、本国政府にとってはフレアの構想していた南アフリカの連邦化は過去のものとなっていた。ウルズリーは5月30日に出発したが、任地到着までは3週間を要する。
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