コルスン包囲戦とは? わかりやすく解説

コルスン包囲戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/31 01:31 UTC 版)

コルスン包囲戦[注 1]とは、第二次世界大戦中、独ソ戦において1944年1月14日から2月16日まで行われた戦いのことであり、ドニエプル=カルパチアン攻勢の一部であった。この戦いでソビエト第1ウクライナ方面軍(司令官ニコライ・ヴァトゥーチン)、第2ウクライナ方面軍(司令官イワン・コーネフ)はドニエプル川近辺でドイツ南方軍集団を包囲した。ソビエト赤軍2個方面軍は包囲したドイツ軍の殲滅を試みたが、包囲されたドイツ軍部隊は包囲外の救援部隊と協調作戦を行い包囲を突破、包囲された将兵の内、約3分の2が脱出に成功[5]、残りの3分の1は戦死するか捕虜となった[6]




脚注

  1. ^ この戦いはコルスン=チェルカッシー 攻勢(The Korsun–Shevchenkovsky Offensive)やコルスン=チェルカッシー包囲戦とも呼ばれており、ロシア語ではКорсунь-Шевченковская операция(コルスン=チェルカッシー作戦)と呼ばれている。また、ドイツ語ではKorsun-Schewtschenkiwskyjer Operation(コルスン=シェフチェンコスキー作戦)と呼ばれているが、一般的にはソ連側はコルスン包囲戦、ドイツ側はチェルカッシー包囲戦と呼んでいる。また、日本語ではチェルカッシー包囲戦としても知られている。
  2. ^ シュテンマーマン集団は基本的に6個師団で編成されており、第57歩兵師団、第72歩兵師団、第88歩兵師団、第389歩兵師団、B軍団支隊(第112師団集団)、装甲戦力を持たない全ての歩兵部隊。そしてヴァロニエンとナルヴァが所属していた第5SS装甲師団ヴィーキングであったが、この中で唯一攻撃、もしくは攻撃的作戦活動が行えるのは第72歩兵師団と第5SS装甲師団ヴィーキングであった。[20]
  3. ^ 包囲内への補給活動に加えて、ドイツ空軍は弾薬325トン、燃料74,289ガロン、食料24トンを包囲外の救出部隊の先遣部隊に送り届けた。[28]
  4. ^ この師団所属連隊はドイツ西部のモーゼル渓谷とトリーアで編成された。
  5. ^ ヴァロニエンからの落伍者など孤立した集団は『コサックの集団によって襲われた』 [50]復讐心に燃えた騎兵たちは包囲から逃れようとしたドイツ軍将兵を『虐殺の乱行』のようにサーベルで切りつけた[51]
  6. ^ これらソ連の主張は全く反論無しに疑うことができる。この数字は戦後修正を加えた1944年のコルスンでの作戦活動に関するソ連の参謀たちの研究に現れる。この研究はスウェーデンの歴史家ニクラス・セッターリング(Niklas Zetterling)によって『決して正確ではなく』、『まったく頼りにならない』と批評されている。 [59]
    David Glantz は現在、それを一般化しており、「これらの情報源がソ連が自らの損害を少なく発表するのと同じぐらいに、ドイツ軍及び枢軸軍の損失を膨らませており、ソ連とロシアによるドイツ軍の損失についてはひどく不正確である」としている。[60]
    ダグラス・E・ナッシュもソ連による誇張を指し示しており、例えば、ソビエト第5騎兵軍団と第4親衛軍は「(1944年2月6日に)お互いに離れていはいたが、ドイツ第5SS装甲師団「ヴィーキング」を一掃したと主張した・・・・実際には第5SS装甲師団「ヴィーキング」最大の戦いはこれから行われることになっていた」としている。 [61]さらにソ連は、ドイツ軍の空輸の間に「329機以上の航空機を撃墜した」と主張しているが、この数はこの期間にこの地域で活動したドイツ空軍の部隊が所有していた航空機数より多く、「ソ連に良く見られる誇張の例と考えなければならなく、これがソ連が行うひどく数を膨張させる最後の例ではない」としている。[62]
  7. ^ エーリッヒ・フォン・マンシュタインとヘルマン・ブライトは戦いの間、近視眼的見解を持っていた多数の将校及び士官候補生らにも同様にそのような命令を行っていた。
  1. ^ Zetterling & Frankson, The Korsun Pocket, p. 277
  2. ^ Glantz & House, When Titans Clashed, p. 188
  3. ^ Glantz & House, p. 298
  4. ^ Zetterling & Frankson, p. 283 (citing The Korsun-Shevchenkovskii Operation, p. 41 and 52; Krivosheev, Grif Sekretnosti Sniat, p. 227)
  5. ^ Nash, Hell’s Gate, p. 366
  6. ^ Zetterling & Frankson, p. 280
  7. ^ Zetterling & Frankson, p. 37
  8. ^ Zetterling & Frankson, p. 37-39
  9. ^ Zetterling & Frankson, p. 39
  10. ^ Konev, Battles Hitler Lost, quoted in Nash, p. 200
  11. ^ Nash, p. 27
  12. ^ Zetterling & Frankson, p. 335
  13. ^ Zetterling & Frankson, p. 336; a total of 253 artillery pieces were inside the pocket [p. 53]
  14. ^ Nash, p. 161に存在する画像と類似した説明
  15. ^ Perrett, Knights of the Black Cross, p. 167
  16. ^ a b Nash, p. 162
  17. ^ a b Zetterling & Frankson, p. 180
  18. ^ Zetterling & Frankson, p. 184
  19. ^ Zetterling & Frankson, p. 185
  20. ^ Department of the Army Pamphlet 20-234, p. 19-20
  21. ^ Nash, p. 194
  22. ^ Perrett, p. 167
  23. ^ DA Pamphlet 20-234, p. 22
  24. ^ Nash, p. 198
  25. ^ Description from same image in Nash, p. 287
  26. ^ Nash, p. 119
  27. ^ Nash, Appendix 8, p. 399
  28. ^ Nash, Appendix 8, p. 399
  29. ^ DA Pamphlet 20-234, p. 19
  30. ^ Nash, p. 212-214
  31. ^ Zetterling & Frankson, p. 245
  32. ^ Nash, p. 369
  33. ^ Zetterling & Frankson, p. 255
  34. ^ Nash, p. 258
  35. ^ Nash, p. 287
  36. ^ Zetterling & Frankson, p. 244
  37. ^ Nash, p. 296, map of disposition of forces during the breakout
  38. ^ Carell, Scorched Earth, p. 418
  39. ^ Nash, p. 280
  40. ^ Carell, p. 417
  41. ^ Perrett, p. 168
  42. ^ Nash, p. 283
  43. ^ Zetterling & Frankson, p. 242
  44. ^ Zetterling & Frankson, p. 257
  45. ^ DA Pamphlet 20-234, p. 27
  46. ^ Nash, p. 300
  47. ^ a b DA Pamphlet 20-234, p. 40
  48. ^ Nash, p. 301
  49. ^ Nash, p. 267
  50. ^ Carell, p. 430
  51. ^ Perrett, p. 169
  52. ^ Nash, p. 308
  53. ^ Zetterling & Frankson, p. 267
  54. ^ DA Pamphlet 20-234, p. 31
  55. ^ Carell, p. 430
  56. ^ Zetterling & Frankson, p. 272
  57. ^ Perrett, p. 169
  58. ^ Zetterling & Frankson, p. 281
  59. ^ “Comments on the Soviet General Staff Study on the Korsun-Shevchenkovskii Operation”2000年9月
  60. ^ David M. Glantz. Red Storm over the Balkans. Lawrence: University Press of Kansas. 2007, p. 381
  61. ^ Nash, p. 110
  62. ^ Nash, p. 120
  63. ^ Zetterling & Frankson, p. 277-278
  64. ^ Nash, p. 398
  65. ^ Zetterling & Frankson, p. 297
  66. ^ a b Nash, p. 382
  67. ^ Zetterling & Frankson, p. 298






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