ダーンリー卿ヘンリーとの再婚
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「メアリー (スコットランド女王)」の記事における「ダーンリー卿ヘンリーとの再婚」の解説
ダーンリー卿ヘンリーは、メアリー女王と同じくイングランド王ヘンリー7世の王女マーガレットの孫であり、テューダー家の血を引いている。加えて、カトリック教徒であった点も、メアリーにとっては都合が良かった。 ヘンリー7世 マーガレット ヘンリー8世 メアリー スコットランド王ジェームズ5世 マーガレット メアリー1世 エリザベス1世 エドワード6世 フランセス スコットランド女王メアリー1世 ヘンリー ジェーン・グレイ ジェームズ1世=スコットランド王 同6世 しかし、この結婚にもマリ伯やエリザベス1世が強硬に反対した。特にエリザベス1世は、イングランドの有力な王位継承権を持つダーンリー卿との結婚によって、メアリーの王位継承権が強化されることを恐れた。そこでダーンリーにすぐさまイングランドに戻るよう命令し、従わないと反逆罪と見なすとして、ダーンリー卿の母マーガレット・ダグラス(マーガレット・テューダーの娘でジェームズ5世の異父妹、エリザベス1世の従姉)をロンドン塔に幽閉したが、ダーンリー卿は従わなかった。しかし、エリザベス1世と首相のウィリアム・セシルは、性格的に弱いダーンリー卿をスコットランドに送り込むことにより、スコットランドの国力低下を計ろうとしたという説もある。 1565年7月29日、メアリーはダーンリー卿ヘンリーと再婚した。メアリーはヘンリーに対し、王族にしか与えられなかったロス伯、オールバニ公の位を与え、また王位継承もあらためて与えるなどして、多くの貴族の反感を買った。しかし、両親から甘やかされてきたヘンリーの傲慢な性格がわかるにつれて、メアリーの愛情も冷めていった。やがてピエモンテ人の音楽家で、有能で細やかな気づかいをする秘書のデイヴィッド・リッチオ(英語版)を寵愛し、重用するようになった。
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