タンド峠の街道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/06/12 14:45 UTC 版)
タンド峠は西アルプス山脈のうちリグーリアン・アルプスとマリティーム・アルプスの境界に位置する標高1870mの峠である。共和政ローマの時代には、ガリア・キサルピナ(北イタリア)とガリア・ナルボネンシス(南フランス)を結ぶ主要な街道がこの峠を通っていた。その後海岸沿いや他の峠を通る街道が整備されたことで重要性は低下したが、中世には内陸のポー川流域と海を結ぶ「塩の道」として機能していた。 中世以降、峠の北のピエモンテはサヴォイア家(サヴォイア公国、サルデーニャ王国)の支配下に入っていた。フランス革命からナポレオン戦争の時代には一時フランスに併合されたが、ウィーン会議の結果サルデーニャに復帰した。峠の西方のニースはサヴォイア家とフランスの勢力の間で争奪が繰り返され、南のリグーリアはジェノヴァ共和国の領土だったが、これらもウィーン会議の後サルデーニャ領として確定した。
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