タッチストーン・フィルム
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「タッチストーン・ピクチャーズ」の記事における「タッチストーン・フィルム」の解説
タッチストーン・フィルムは1984年2月15日、当時ディズニーのCEOロナルド・W・ミラーはPG指定を受けるような大人向けのディズニー映画を作るための部門として設立され、そのレーベルから3~4本の映画が公開される予定である。タッチストーンが製作した映画の第1作目となったのは『スプラッシュ』で、その年には国内興行収入6800万ドルという大ヒットを記録した。ディズニーの新CEOマイケル・アイズナーと、映画部門の責任者ジェフリー・カッツェンバーグは、レーベルの名称をハリウッド・ピクチャーズに変更することを検討していた。 1986年には、『ビバリーヒルズ・バム』もタッチストーンの初期のヒット作で、ディズニー初のR指定映画となり、1987年にはディズニー初のPG-13指定映画『ベビーシッター・アドベンチャー』が続いた。ディズニーはPG-13とR指定の映画を追加し、『殺したい女』(1986)、『うるさい女たち』(1987)、『ティンメン 事の起こりはキャデラック』(1987)などの人気作品で勢いを増した。1985年4月、タッチストーン・フィルムの映画は、1986年から5年間、ショウタイム/ムービー・チャンネル(英語版)に放送する契約を結んだ。
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