タサファロンガ岬
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タサファロンガ岬(タサファロンガみさき、英語: Tassafaronga Point)は、ソロモン諸島・ガダルカナル島北岸の岬。行政上は同国のガダルカナル州に属する。日本語ではタサファロング岬とも呼称し[1]、日本軍が使用したほか[2][注釈 1]、公刊戦史『戦史叢書』でも用いる[4]。
1942年(昭和17年)11月30日夜[3]、タサファロング岬の沖合でルンガ沖夜戦[5](連合軍側名称:英語: Battle of Tassafaronga=タサファロンガ沖海戦)が発生した[6]。「鼠輸送」のためガダルカナル島へと向かっていた日本海軍第一次ガ島増援部隊(駆逐艦8隻、指揮官:第二水雷戦隊司令官田中頼三少将、旗艦:駆逐艦長波)は[7]、これを阻止すべく出撃してきたアメリカ海軍第67任務部隊(指揮官:カールトン・H・ライト少将、旗艦:重巡洋艦ミネアポリス)と遭遇した[8]。夜戦となり、日本側は輸送任務こそ失敗したものの、駆逐艦「高波」喪失と引き換えに重巡「ノーザンプトン」を撃沈、重巡3隻を撃破した[9][注釈 2]。
翌年9月15日、連合艦隊司令長官古賀峯一大将はルンガ沖夜戦の勝利を讃え、増援部隊に感状を授与した[10]。
脚注
注釈
- ^ 主要海空戰日米呼稱對照表[3]〔 ルンガ沖夜戰|「タサフアロング」海戰 Battle of Tassafaronga |一七、一一、三〇| 〕
- ^ ニューオーリンズ級のミネアポリスとニューオーリンズ、ペンサコーラ級のペサンコーラ。
出典
- ^ 戦史叢書83 1975, p. 179など.
- ^ 「昭和17年11月1日~昭和17年11月15日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(3)、昭和17年11月1日~昭和17年11月15日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C08030099000 画像1-2、6など〔 タサファロング輸送 〕
- ^ a b “主要海空戰日米呼稱對照表 二一、五、六 史實調査部”. アジア歴史資料センター. 防衛省防衛研究所. pp. 02 (1946年5月). 2025年3月29日閲覧。
- ^ 戦史叢書83 1975, p. 25挿図第一 ガ島周辺要図
- ^ 戦史叢書83 1975, pp. 431–440十一月三十日(ルンガ沖夜戦)
- ^ ニミッツ 1962, pp. 140–144タッサファロンガ海戦
- ^ 戦史叢書83 1975, p. 432.
- ^ ニミッツ 1962, p. 142第20図 タッサファロンガ海戦
- ^ 戦史叢書83 1975, p. 439.
- ^ 戦史叢書83 1975, p. 440.
参考文献
- C・W・ニミッツ、E・B・ポッター『ニミッツの太平洋海戦史』恒文社、1962年12月。
- 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 南東方面海軍作戦<2> ガ島撤収まで』 第83巻、朝雲新聞社、1975年8月。
関連項目
- タサファロンガ岬のページへのリンク