タウロメニオン建設
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/23 06:08 UTC 版)
メッセネを占領すればメッシーナ海峡を支配することができるにもかかわらず、ヒミルコはそれを選ばなかった。おそらくはカルタゴから遠く離れたメッセネを維持する自信がなかったものと思われる。彼はまた戦略的ジレンマに直面していた。もしメッセネ周辺の山岳砦を一つずつ潰して行くと、その間にディオニュシオスは防衛体制を整え、あるいは攻撃をかけてくるかもしれない。しかしこのまま南進した場合、メッセネ兵が砦から出撃してヒミルコの背後に嫌がらせ攻撃をかけてくるであろう。これに対処するために軍の一部を残すと、シュラクサイに対する攻撃力が低下してしまう。しかしヒミルコはこの問題を解決する名案を見つけた。カルタゴはメッセネ南方のタウロス山にタウロメニオン(現在のタオルミーナ)を建設し、そこにシケル人を入植させた(紀元前403年にディオニュシオスが破壊したナクソスのやや北であるが、この付近の土地をディオニュシオスはシケル人に与えていた)。これによってシケル人は親カルタゴとなり、アソロス(en、現在のアッソロ)以外はディオニュシオスを見捨てた。ヒミルコは敵の兵力を低下させ、メッセネのギリシア兵から背後を守る味方を得ることができた。
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