タウジヒとは? わかりやすく解説

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タウジヒ

【英】:Tausig, Carl
[ポーランド]  1841~1871

ピアノ独奏曲


タウジヒ

名前 Tausig

カール・タウジヒ

(タウジヒ から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/21 02:18 UTC 版)

カール・タウジヒ

カール・タウジヒCarl Tausig, 1841年11月4日 - 1871年7月17日)はポーランド出身のピアニスト。姓はタウジッヒとも表記する。ポーランド語ではカロル・タウシクKarol Tausig[1]

略歴

ワルシャワユダヤ系の家庭に生まれ、父アロイス(Aloys Tausig, 1820-1885)からピアノの手ほどきを受ける。その後フランツ・リストヴァイマルに訪ねて師事を認められ、その後、演奏旅行に同行するようになる。この時タウジヒは14歳であった。師事後、ドイツに定住して1865年ベルリンでピアノ教室を開くが、すぐに教室を畳んでヨーロッパ各地で演奏旅行を行い、模範的な演奏技巧によって知られるようになった。29歳の時にライプツィヒにて、腸チフスにより他界した。

作曲家として残した作品は数少なく、ほとんど調査・研究されていない。

自作のほかに、数多くの作曲家の作品をピアノ曲に編曲した。バッハの《トッカータとフーガ ニ短調》BWV565の編曲[2]はわりあい有名である。他にリヒャルト・ワーグナーの編曲(『ワルキューレ』より「ワルキューレの騎行」、『トリスタンとイゾルデ』の「イゾルデの愛の死」など)のピアノ編曲が遺されている。また、ショパンの『ピアノ協奏曲第1番』の改訂も行ったが、ピアノ・パートはおろか曲自体にも大幅に手を加えた[3]が、そのヴァージョンが普及することはなかった。

ブラームスはリストに敬意を抱いていなかったが、タウジヒとは親交を結び、その演奏技巧を念頭に置いて、2巻の《パガニーニの主題による変奏曲》(パガニーニ練習曲)を作曲した。

作品

  • バラード『幽霊船 (Das Geisterschiff)』
  • 2つの演奏会用練習曲
  • 10の前奏曲
  • ハンガリーのジプシーの歌

脚注

出典

  1. ^ TAUSIG, KAROL”. polskabibliotekamuzyczna.pl. pbm. 2024年5月26日閲覧。
  2. ^ Toccata and Fugue in D Minor, BWV 565 (Live)”. music.apple.com. Apple. 2024年5月26日閲覧。
  3. ^ James Methuen-Campbell. “Chopin & WIeniawski Piano Concertos”. www.gramophone.co.uk. Apple. 2024年5月26日閲覧。

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