ソー=デュ=ガティネ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/26 14:10 UTC 版)
「エリザベート・ル・リッシュ」の記事における「ソー=デュ=ガティネ」の解説
文献によると941年11月、エリザベートの父ソー=デュ=ガティネ卿リジャール・ル・リッシュ(エリシエルヌス, Elisiernus)が修道士となったが、修道院に入る直前に領地より南西40km先にあったサン=ブノワ=シュル=ロワール修道院を巡礼し、所属教会、邸宅、農奴を寄付した。このような巡礼と寄付は当時フランスでは貴族に限られた特権および通過儀礼であった。 当時リジャールの子女は皆まだ若く、娘エリザベートが未婚であったこと、教会に入った息子ジョゼフが侍者(叙階前の奉仕者)であったことが記録に残されている。 エリザベートの実父リジャールはソー=デュ=ガティネの用益権を所有していたが、998年にソー=デュ=ガティネ領は修道院が所有していたのではなく、エリザベートの2人目の夫ヴァンドーム・パリ伯ブシャール1世とその次男にあたるパリ司教ルノー2世(1017没)、ユーグ・カペーの共同管理下にあった。 エリザベートはブシャールと結婚する以前は初婚の夫コルベイユ伯エイモンと死別した未亡人であった。
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