ゼッキとは? わかりやすく解説

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ぜっ‐き【絶奇】

読み方:ぜっき

[名・形動この上なくめずらしいこと。また、そのさま。「—な風景


ゼッキ

名前 Zecchi

カルロ・ゼッキ

(ゼッキ から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/24 14:58 UTC 版)

カルロ・ゼッキ
基本情報
生誕 (1903-07-08) 1903年7月8日
出身地 イタリア王国ローマ
死没 (1984-08-31) 1984年8月31日(81歳没)
 オーストリアザルツブルク
ジャンル クラシック音楽
職業 ピアニスト指揮者
担当楽器 ピアノ

カルロ・ゼッキ(Carlo Zecchi, 1903年7月8日 - 1984年8月31日[1]イタリアピアニスト指揮者

経歴

ローマに生まれ、生地の音楽院で作曲とピアノを学んだ後、ベルリンブゾーニシュナーベルに師事。1920年にソリストとしてデビューし、一時期はピアニストとしてベネデッティ・ミケランジェリの好敵手と目されたが、1939年には室内楽での演奏に重点を置くようになり、エンリコ・マイナルディとデュオを組んだ。ピアノの演奏活動を停止したのは、借金の返済に困って「事故のためにピアノを弾けなくなった」と偽り、保険金を詐取したことが露見するのを恐れたためであった[2]

1938年にはハンス・ミュンヒアントニオ・グァルニエリから指揮法を師事し、1947年から世界各国の主要なオーケストラに客演した。1966年から10年間、ウィーン室内管弦楽団の首席指揮者を務めている。

教育者としても有名で、ローマのサンタ・チェチーリア国立アカデミアのピアノ科教授を長く務めたほか、ザルツブルクでもマスター・クラスを開講していた。主な門下にファウスト・ザドラマリアクララ・モネッティアンネッテ・サーヴァデイ等がいる。

1984年、ザルツブルクで死去[3]

教育活動

ピアニストとしてダニエル・バレンボイムを、指揮者として同じくダニエル・バレンボイム、クラウディオ・アバドズービン・メータらを指導した[4]

参考文献

  • ダニエル・バレンボイム『音楽に生きる ダニエル・バレンボイム自伝』蓑田洋子訳、音楽之友社、1994年、ISBN 4-276-21757-1

脚注

  1. ^ Carlo Zecchi (Piano)”. 2013年1月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年1月17日閲覧。
  2. ^ オリヴィエ・ベラミー 著、藤本 優子 訳『マルタ・アルゲリッチ 子供と魔法』音楽之友社、2011年、125頁。ISBN 9784276217966 
  3. ^ Zécchi, Carlo”. 2019年6月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年6月19日閲覧。
  4. ^ バレンボイム (1994)、58-59頁。


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