スポーツ愛好家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/14 03:22 UTC 版)
「エドワード・スタンリー (第17代ダービー伯爵)」の記事における「スポーツ愛好家」の解説
パブリック・スクール時代に経験したラグビーの熱心な愛好家であり、ラグビー協会の名誉理事長を務めていた。ほか、フランスラグビーリーグ協会(英語版)に優勝杯を寄贈しており、このカップは現在でも「ダービー卿杯(Trophée Lord Derby)」と呼ばれている。なお父のフレデリックはアイスホッケーの愛好家で、北米のナショナル・ホッケー・リーグに優勝杯を寄贈(こちらは「スタンレー・カップ」と呼ばれている)している。 また競走馬の生産者および馬主として史上に大きな事績を残しており、ハイペリオン、ファラリス、ファロス、フェアウェイ、スウィンフォード、アリシドンなど、現代のサラブレッドに多大な影響を与えた名馬を数多く送り出した。生産者および馬主としてダービーを3勝、オークスを1勝、セントレジャーを6勝、2000ギニーを2勝、1000ギニーを7勝を挙げたほか、1歳時にエヴレモン・ド・サンタラリからオグデン・ミルズと共同で購入したカンタールで凱旋門賞にも優勝した。彼の馬の購入や調教についてはジョージ・ラムトンが、初期の配合デザインにはウォルター・オルストンがかかわっており、生産に際しては「フィッツラックの18.75%理論」と呼ばれる血統論を用いたとも、占星術によったとも言われるが定かではない。 1930年にはダービー伯爵として史上初めてアメリカのケンタッキーダービーを現地観戦し、『タイム』の表紙を飾った。
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「スポーツ愛好家」の例文・使い方・用例・文例
- スポーツ愛好家はよくスランプに陥(おちい)る。
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