スピードシンボリに騎乗
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 22:03 UTC 版)
1967年 スピードシンボリで天皇賞(春)を制覇。同年、同馬に騎乗してワシントンD.C.インターナショナルに遠征(9頭中5着)。アメリカの一流競走馬の能力を目の当たりにした野平はオーストラリア遠征で得た自信を完全に打ち砕かれ、スピードシンボリの馬主・和田共弘と「外国の馬の強さの秘密を知るには積極的に現地へ足を運ぶ必要がある」という認識を共有することとなった。 1969年、ふたたびスピードシンボリで海外遠征を敢行。キングジョージクイーンエリザベステークスに体調不安の状態で出走し9頭中5着。その後フランスで1戦し、凱旋門賞(24頭中10着)に騎乗。日本国外の競馬のレベルの高さ、遠征の難しさを改めて痛感させられる結果となった。その後は帰国後ぶっつけで有馬記念に出走、ハナ差で勝利を収めている。翌年も騎乗を続け、5回目となる有馬記念でのラストランをクビ差での優勝で飾った。
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