スケートでの戦績
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/11 07:31 UTC 版)
佐久長聖高等学校時代はショートトラックスピードスケート選手。山梨学院大学入学後にスピードスケートに転向し、長野オリンピックでは1000m11位、1500m16位、ソルトレイクシティオリンピックでは1000m15位、1500m34位。トリノオリンピックでは1000m20位、1500m34位。 2001年3月、同種目で1分45秒49の日本新をマークした。世界歴代2位に相当する好記録。メダル候補に浮上したが企業の廃部に伴い、従来の企業スポーツから脱却し選手自らがマネジメントを手掛ける「チームディスポルテ」を設立し、スポンサー探しに奔走した。当初は資金難で「スケートどころではなかった」と振り返るが、地道な活動が徐々に実を結び、ニコンや大相撲の横綱朝青龍が所属する高砂部屋など5社のスポンサーを獲得するまでに至り、中距離のリーダー格として若手をけん引した。 トリノオリンピックを最後に現役を引退。引退会見では、元々世界との差がある種目であることもあって、自身のことを「記録にも記憶にも残らない選手」と表現した。だが10年間以上日本代表チームに属し、日本のスピードスケート界における中距離のエースとして牽引した功績は大きい。
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