ジークフリート・ブーバックとユルゲン・ポントの暗殺事件
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「ドイツの秋」の記事における「ジークフリート・ブーバックとユルゲン・ポントの暗殺事件」の解説
1977年、RAFは重要人物の連続誘拐によって捜査を混乱させ、政府の意志を挫くことを目的として、77年攻勢と称する大規模攻勢を開始した。 1977年4月7日には連邦検事総長ジークフリート・ブーバック(Siegfried Buback)がカールスルーエでRAFメンバーに暗殺された。ブーバックは自動車で移動中に赤信号で停車していたところを、後ろから来たオートバイから自動小銃で撃たれ、運転手やボディーガードらとともに死亡した。 1977年7月30日、ドレスナー銀行の頭取ユルゲン・ポント(Jürgen Ponto)は、フランクフルト・アム・マイン近郊の小都市オーバーウルゼルの自宅前で訪ねてきた男女らに射殺された。この事件はRAFのメンバーであるブリギッテ・モーンハウプト(Brigitte Mohnhaupt)、クリスティアン・クラール(Christian Klar)、ズザンネ・アルブレヒト(Susanne Albrecht)の三名がポントを誘拐しようとして失敗した結果起こった。ポントは実行犯の一人アルブレヒトの姉妹の名付け親であった。 これらの事件は秋に起こる一連の事件の幕開けであった。
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