ジルバーマンの楽器
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/26 10:11 UTC 版)
「フォルテピアノ」の記事における「ジルバーマンの楽器」の解説
ドイツ語圏でのフォルテピアノの製作を始めたのはゴットフリート・ジルバーマンであった。ジルバーマンはドイツのフライベルクで活動しており、1730年頃よりクリストフォリの設計に基づいてピアノの製作を始めた。クリストフォリが王室の保護を受けていたのと同様、ジルバーマンもプロイセンのフリードリヒ大王の庇護を受け、フリードリヒはジルバーマンの楽器を数多く購入した。 ヨハン・ゼバスティアン・バッハが1736年頃におこなったジルバーマンの楽器の批判は著名であるが、後の1747年にベルリン訪問中に触れたジルバーマンのピアノは、バッハにも評価されたようである。パラキラスの説によれば、ジルバーマンの楽器の向上は、スキピオーネの記事だけに頼っていたのを、実際にクリストフォリのピアノに接する機会を得たことによるものであった。スキピオーネの記事の図解は、現存するクリストフォリ・ピアノと一致しないが、これはスキピオーネが間違った(スキピオーネ自身が記憶に基づいて書いたとしている)ものか、クリストフォリがスキピオーネの記事後にアクションを改良したものと考えられる。 ジルバーマンの功績と見なされているものに、ダンパーペダルの原型の発明がある。ダンパーペダルは、全ての弦から一度にダンパーを取り払う機構で、これにより全弦が自由に振動する。ジルバーマンが開発したのはハンドストップであり、演奏を中断しないと操作できないものであった。古典派の時代を通じて、膝レバーやペダルによる操作機構が備えられたが、全てのダンパーをあげるのは主にその音色を特別に利用するためであった。
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