ジョージ・ペルとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ジョージ・ペルの意味・解説 

ジョージ・ペル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/29 15:13 UTC 版)

枢機卿
ジョージ・ペル
George Pell

AC
バチカン市国財務局長官
教会 カトリック教会
司教区 サンタ・マリア・ドメニカ・マツァレッロ教会(ローマ)(名義司教)
他の役職 メルボルン大司教1996年- 2001年
シドニー大司教(2001年-2014年)
聖職
司祭叙階 1966年12月16日
司教叙階 1987年5月21日
枢機卿任命 2003年10月21日
個人情報
出生 (1941-06-08) 1941年6月8日
オーストラリアビクトリア州バララット
死去 (2023-01-10) 2023年1月10日(81歳没)
イタリアローマ,Salvator Mundi International Hospital
国籍 オーストラリア
出身校 w:Corpus Christi College, Melbourne
w:Pontifical Urban University
w:Campion Hall
w:Monash University
座右の銘 Nolite Timere
英語訳例:"Be not afraid"
日本語訳例:「恐れるな」
紋章
テンプレートを表示

ジョージ・ペル(George Pell、1941年6月8日 - 2023年1月10日)は、カトリック教会枢機卿

来歴・人物

オーストラリアバララット出身。2003年に枢機卿に任命され、2014年フランシスコ教皇から財務局長官(財務相)に抜てきされ[1]ローマ法王庁で3番目の地位にあった[2]。母国オーストラリアでは安楽死同性婚に強硬姿勢を示し、宗教保守派から英雄視されていた[1]

1996年メルボルンにあるセント・パトリック大聖堂内の部屋で聖歌隊少年2人を性的に虐待したとして有罪評決が下されていたことが2019年2月26日に公表された[2]。2020年4月7日、オーストラリアの最高裁判所はこれまでの有罪判決を覆し、満場一致で無罪判決を下した[3][4][5]

晩年は人工股関節置換手術を受けるためローマの病院に入院中であった[6]。手術は成功したものの、その後心停止状態に陥った後、現地時間10日午後8時50分(日本時間11日午前4時50分)、ローマの病院にて死去した[6][7]。81歳没。訃報は秘書によって当日に明らかにされた[7]

脚注

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ジョージ・ペル」の関連用語

ジョージ・ペルのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ジョージ・ペルのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのジョージ・ペル (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS