ジョン・フラナガン (陸上選手)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ジョン・フラナガン (陸上選手)の意味・解説 

ジョン・フラナガン (陸上選手)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/06 04:21 UTC 版)

ジョン・フラナガン
選手情報
フルネーム ジョン・ジーサス・フラナガン
国籍 アメリカ合衆国
種目 ハンマー投
生年月日 (1873-01-09) 1873年1月9日
生誕地 アイルランド連合王国
没年月日 (1938-06-03) 1938年6月3日(55歳没)
獲得メダル
陸上競技
オリンピック
1900 ハンマー投
1904 ハンマー投
1908 ハンマー投
1904 重錘投(56ポンド)
編集 

ジョン・フラナガン(John Jesus Flanagan, 1873年1月9日 - 1938年6月3日)は、アメリカ合衆国の陸上競技選手。ハンマー投の選手として1900年パリオリンピックから3大会連続出場し、3大会とも金メダルを獲得した選手である。

1873年1月9日アイルランドリムリックに生まれる。1896年にアメリカに移民する。当時すでにハンマー投の世界記録を持っていた。ニューヨーク・アスレチッククラブおよびアイリッシュ・アメリカン・アスレチッククラブに入る。他のアイルランド系移民とともに「アイリッシュ・ホエールズ」として知られるようになる。

1900年パリオリンピックにハンマー投のアメリカ代表選手として参加。フラナガンは大学生以外で唯一メダルを獲得したアメリカの選手であった。銀メダルを獲得したトラクストン・ヘア(Truxton Hare)に4.75mの差をつける圧勝で初めての金メダルを獲得した。銅メダルを獲得したジョサイア・マクラッケンとともにアメリカでメダルを独占した。また、円盤投にも出場し、7位となった。

1903年からニューヨーク市警察で勤務を開始する。ただし仕事の量はそれほどなく、トレーニングと競技に参加するための時間の余裕があった。

1904年セントルイスオリンピックに出場。彼はこの大会において51.23mの世界新記録を樹立し、2大会連続の金メダルを獲得している。また、重錘投(56ポンド:25.4 kg)でもカナダエティエンヌ・デマルトーに次いで銀メダルを獲得した。

1908年にはロンドンオリンピックにも出場した。自身の持つ世界新記録を更新する51.93mの記録で同じニューヨーク市警のマット・マクグラスらを退け、3大会連続の金メダルを獲得した。この大会ではマクグラスらとともに綱引きにも出場している。

1909年7月24日、フラナガンは41歳のときに56.18mを投げ、世界新記録を樹立した。

1910年になり、ニューヨーク市警の彼の職場が廃止され、西68丁目駅へと異動となった。これにより競技をする時間がなくなり、市警を辞職した。さらに1911年にアメリカを離れた。

1924年に父親がなくなった後、故郷のリムルックに帰り、1938年にこの世を去った。

1928年にアイルランド初の金メダリストとなったパット・オキャラハンは、フラナガンがコーチした選手であった。

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ジョン・フラナガン (陸上選手)」の関連用語

ジョン・フラナガン (陸上選手)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ジョン・フラナガン (陸上選手)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのジョン・フラナガン (陸上選手) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS